バーダルの歴史
バーダルの歴史

もし我々が世界一の添加剤を作れないのなら、一切製造はしないだろう

もし我々が世界一の添加剤を作れないのなら、一切製造はしないだろう
バーダル・マニュファクチュアリング コーポーレーション創設者 Ole Bardahl(オレ・バーダル)

創業者であるオレ・バーダル氏がポーラー・アトラクション・フォーミュラの開発に成功したのは、1939年のこと。開発から約70年経った現在も、その内容をコピーすることは不可能とされています。まさにバーダルだけが実現できる世界で唯一無二の潤滑被膜といっていいでしょう。現在もその性能は常に進化を続けており、自動車のみならず、さまざまな産業分野において積極的に使用され、高い信頼と信用を得ています。

BARDAHL

バーダルの歴史はアメリカ移民のサクセスストーリーです。バーダル社は個人とその家族の献身的な働き、創造的思考と忍耐の上に創設されました。

オレ・バーダルは1922年ノルウェーから米国に移民してきましたが、その時彼のポケットには、たった32ドルと、そして夢が入っているだけでした。彼はシアトルにあるスカンジナ人コミュニティであるバラードにて、大型製材の取扱人として働き始めました。オレは少ない給料を節約し学校へ通って英語、化学、商業を学びました。1929年彼は蓄えたお金でビルディングコントラクター(建築請負人)になり、新しいビジネスをスタートさせましたが、当時不況になり始めていた頃でした。オレはビジネスを成功させるため1日16時間も働きました。家をつくり販売する自らの会社のための大工として、現場監督として、又販売店として働きました。

不況のなかばである1936年オレ・バーダルは、ある好機に出会いました。自動車と工業用機械を扱ってきた経験が、鉱油をベースにした従来の潤滑剤では圧力、圧縮力に耐えられないということを彼に教えたのです。オレは独力で又、潤滑剤の将来を予測する他の者達と共に潤滑力についての急進的なコンセプトであるポーラ・アトラクションを開発しました。彼のこの新事実の開発により摩耗、摩擦、不純物(沈殿物)の発生を防止する最初の最も効果的な潤滑システムの1つが提供されました。

1939年オレはバーダル・マニュファクチュアリング・コーポーレーションを設立し、彼は独自のスタイルとしてバーダルの製造と販売をよく監督しました。シアトル内の沢山のガソリンスタンド(サービスステーション)のスタッフ達は、元気のよいノルウェーアメリカンのセールスコールをいまだ覚えている者も多いのです。1939年設立時の売り上げは、わずか188ドルでしたが、ビジネスの発展はアメリカが第二次大戦に参戦したことにより制限されました。戦後になり工業用の特殊な潤滑剤の必要が増加したことと自動車人口の増加にともない、バーダルのマーケットは大きく増大しました。1940年代後半と1950年代バーダルは一地域だけのローカルな企業から潤滑剤を国際的に販売する企業へと成長しました。オレはこの成功をもとにレース業界へのサービス、コミュニティ(共同体)へのサービスを含む他の仕事にも注意を向けて行きました。彼はバラード・コミュニティ・ホスピタルの理事など慈善事業や共同体の役員も勤めました。